春のこの麗らかな感じが好きだった。麗らかな感じがどんな感じって言われたら何と返せばわからないけれど、暖かくなった日差しとか、命の芽吹きとか、新しい制服に身を包んだ学生たちの期待と不安の入り混じった表情とか、それから「麗らか」という言葉の響きとか。自分でもよくわからないけれど、そんな感じの小さな何かが集まった春が好きだった。
心機一転、腰まであった長い髪を切ったのは昨日のこと。特に見せびらかす相手もなく、肩より上にきた毛先が風に揺れるのを1人で楽しむ。ああそういえば、あの子も髪の毛これくらいだったっけ。季節が巡るたび、思い出すのはあの子のことだ。幼いころからずっと一緒に過ごしてきた幼馴染、麗日お茶子。


この世界を構成する人々は、なんというか異常だ。日常は非日常に、そして非日常は日常に。そんな社会に生まれた時から組み込まれてしまった私にとっても、それは当たり前のことだった。たとえどんな世界に生まれていたって、命ある限りは生きていかなければならないし、臨機応変、順応万歳。爆発騒ぎは何のその、個性が悪用されるこの世の中で、向上志向のない私が社会のモブと化すのも、個性を活かす職業が登場するのも当然のことだった。誰もが憧れるヒーロー、お茶子はそのヒーローの1人を目指し、この春、遠く離れた雄英高校に進学した。




「おじさんやおばさんと離れちゃうんだよ、寂しくないの、お茶子」

志望校を宣言したお茶子への私の問。おじさんとおばさんを隠れ蓑にして、本当に寂しいのは私だった。寂しいよ、もちろん。はっきりと口に出さなかったのは口に出せば私がもっと寂しくなることを見抜いてのことだった。

、私頑張るから、応援してて!」

質問の答えになってないよ、泣きながらそう言ったあの日のことは、まだ記憶に新しい。




結局のところ私は、応援の言葉を言うことができずに大事な大事な幼馴染を見送ってしまったのだが、お茶子の出発日から遅れること1週間。まるで運動部のマネージャーのような手作りのお守りと、それから大事な一言を添えて送りつけておいた。先ほど届いたメールを見れば、気持ちはどうやら伝わったらしい。メッセージカードとお守り、慣れない自撮りのせいで変な角度で映ったお茶子の写真が添付されていた。「頑張れ、お茶子」。私はずっと、見守ってるから。




拝啓、

移りゆく季節に生きるきみへ